NINTENDO64
NINTENDO64(にんてんどう ろくじゅうよん)は、任天堂から発売されたテレビゲーム機である。通称ロクヨン。
Play Stationやセガサターンと90年代後半に次世代ゲーム機を繰り広げたが、シェアはPlay Stationに軍配が上がった。しかし、任天堂信者からは評価が高いハードである。[要出展]
キーワード
3Dスティック(さんでぃ-)
- グリグリしすぎてスティックがガタガタに
- グリグリしすぎて手の皮が剥けたとアメリカでは訴訟問題に発展した
- 「すりーでぃ」と読んで恥をかく
はがさないでください
- 拡張パックが出る前にはがしてしまいビクビクする
- ハイレゾパックと言う名前にどきどきする。[7]
ピカチュウげんきでちゅう
- 言う事を聞かないピカチュウに辟易
NINTENDO64の歴史
黎明期(1996年)
スーパーファミコンの後継機として開発。正式名称発表前はウルトラファミコンとも呼ばれていた。いわゆる“次世代機”と呼ばれるゲーム機たちがメディアとしてCD-ROMを使用する中、任天堂はあくまでROMカセットによる開発を推し進めた。[8]
度重なる発売延期の末、1996年6月に発売。ローンチタイトル[9]は3本のみだが、その中でも「スーパーマリオ64」は3Dアクションゲームの元祖とも言える秀作である。しかし、その後発売ソフト数は伸び悩んだ。
サードパーティー製のソフトは、「ワンダープロジェクトJ2」など数えるほどしか存在しない。
中期(1997〜1999年)
ようやく、任天堂から安定してソフトが発売されるようになりはじめるが、サードメーカーの参入はなかなか進まず、いわゆる糞ゲーも多かった。
この時期は「マリオカート64」や「ゼルダの伝説 時のオカリナ」などゲーム史上に残る名作も発売されている。「ゴールデンアイ007」はFPSの名作。「F-ZERO X」はSFC版のファンからボロボロに叩かれた[10]。マリオパーティは手のひらの皮がむけた。
ポケモン人気にあやかったゲームも多数発売されているが、「ポケモンスタジアム」はなんともかんとも[11]。「ピカチュウげんきでちゅう」はCMのおじさん勝ち。
異色のコンセプトで話題となった「ニンテンドーオールスター!大乱闘スマッシュブラザーズ」はスマッシュヒットを記録した。このころには完全にPlayStation?がシェアを獲得しており、64は小さい子供向けや任天堂信者向け、あるいはパーティーゲーム用というイメージが強かった。
終末期(2000〜2001年)
PlayStation?2の発売が迫り、NINTENDO64はさらに影が薄くなっていく。大容量ディスクを用いた64DDが販売されたが、会員制のシステムと抱き合わせだったため、まったく普及しなかった。
「ドンキーコング64」、「星のカービィ64」、「ゼルダの伝説 ムジュラの仮面」、「マリオテニス64」など任天堂からは既存のキャラを生かしたゲームが出るが、時すでに遅し。「どうぶつの森」は64では花開かなかったが、このあとのハードで人気を博すこととなる。サードパーティーは続々とハードの鞍替えを検討し、存在感を持っていた「実況!パワフルプロ野球」シリーズは2000からナンバリングタイトルをPS2に移してしまった。「風来のシレン2」は、SFCから一回りも二回りもパワーアップしていたため話題となった[12]。
なお、64最後のソフトは「ボンバーマン64」。
終末期の存在感は薄かったが、ハードの安さと恵まれたソフトで健闘したのも事実である。
TBAにおけるNINTENDO64
麻雀のできない部員同士の交流手段として有効に活用されている。
- スマブラで生まれる友情
- マリオカートで育まれる友情
- 007で壊れる友情
- パワプロ6で壊れる学生生活
- 風来のシレンで壊れる日常生活
- スーファミ派とAVケーブルの取り合い
- ファミコン派はここ1・2年おとなしい