伊達政宗
近年のやや歪んだ歴史ブームにより、仙台市の観光資源として新たなアプローチ方法が模索されている。
概要
伊達家は、鎌倉時代に興り代々東北地方南部を支配してきた一族である。
戦乱の世に若くして当主となった伊達政宗は、東北の戦国大名として名を馳せ、豊臣秀吉や徳川家康など、当時の天下人と一族の存亡を掛けた駆け引きを繰り返しながら生き抜いた[3]。
江戸時代以降も天下を狙う野望を捨てなかったとも言われるが、一方で徳川家光の信頼を勝ち取るなど有力な外様大名として仙台藩の地位を確固なものとしていった。
文武に長けた戦国武将として、現在でもいろんなジャンルで大変人気がある。
そのため、「伊達男(伊達者)」の由来である・幼少期に失明した右目を飲み込んだ・徳川の時代になってもなお天下を狙い続けた・チビで木刀で二刀流・目からビームが出る・異国の言葉を扱う・馬の顔と足の生えたバイクを乗り回す、など様々な伝説・逸話が現代まで語り継がれている。
関連人物
- 支倉常長
- 伊達政宗の名を受け、慶長遣欧使節の一員としてヨーロッパに派遣された家臣。時のローマ法王との謁見まで果たすが、江戸幕府の禁教令によって挫折を余儀なくされた。日本史上有名な人物であるが、武闘派ではないため近年の歴史ブームからは取り残されている。伊坂幸太郎の小説では、帰国後「萩島」を作ったとされている。
- 伊達みきお
- 世にも珍しい仙台出身の漫才コンビ、サンドウィッチマンのツッコミ。伊達家の末裔だが政宗の子孫ではない。